盛山和夫

1970年代以降に多元化していく社会の頃の話である。
ジェンダー、人種問題、民族問題、経済格差といったことが
社会の背景にくっきり現れてきたのがこの時期辺りだろう。

こういった、よほどまとまりがつかない状況下で
識者ではどうやって共同体を構築するかが議論されていたそうである。
盛山によれば、リベラリズムはこの時期称揚された思想運動である。
リベラリズムがこの状況下で浸透したのには
「正義」の概念があったからであると盛山はいう。

「正義」は他のあらゆる問題を超越して
共通の価値観を提出できるものである。
男女、貧富、民族によらず判断の根拠にこの「正義」があったのである。
盛山はこの一元的な価値観の危険性を指摘し
正義が他の価値観に対して不寛容であるという。
おもしろいのは共同体に必要なのは
共通の価値観であるという点だろう。

現在の地球環境問題はこの概念のリサイクルだと思う。
共同体意識の舵取りにひとまず地球に犠牲になってもらおうとしたアイデアではないか。

世界中で私たちはネゴシエーションを繰り広げている。
その相手の匿名性はかつてよりもより匿名化した現在において
無名のアバターとのチャットでさえ、地球環境問題は共通言語となっていると考える。
連日の環境問題にまつわる記事と
それに敏感に反応しようとしている企業の取り組み
ここには、新しい言語へ慣れるためのメソッドが提示されているように思う。

地球環境問題は地球に対する処方箋であるよりも
新しい共同体一員になるための共通言語であると思われる。
テクノロジカルなことを口にしながら私たちがやっているのは
共同体への幻想を地球というかけがえのないもので構築しようというプログラムではないか。