スチのり

日記とブログが抱える問題は
ブログ始めましたの一歩手前では
当然だれもが直面するものではないだろうか。

日記を誰かに見せるという悪趣味に加担することに
私は強い抵抗があり
それを半ば抱えたままブログ開設にあれよあれよと至ってしまった。
この抵抗は自分の中でいつのまにかないがしろにされ
新しいプログラムの前で栓をされたままになっていた。

しかし、栓だけがあり容器がなくなっていることに
今日気がついてしまった。
私はなにも閉じ込めていなかったのだ。
世界は一つだったなんて大げさなことを言うつもりはないが
隔離は未遂に終わった。

日常記憶装置として日記はその日に起こった出来事を一手に引き受けてきた。
そこに記述される今日という時間の集積が
人生という軌跡となって緩やかな放物線を描き出す。
だが、それはブログが描く軌跡とはまるで違っているらしい。

舞台装置化した日記としてのブログは
今日という日の端末として機能している点では
日記と同じくであろう。

しかしブロガーなら一日を演出することに没頭するかもしれない。
そこに目がけてミスター大道具がセットを組み立て
私は台詞を覚え、音楽のタイミングも入念に仕込もうというものだ。

だが、私はこれを少しもくだらないとは思わないと、今日気づいたのだ。
一日が、あるいは人生がブログに記述され、鑑賞されるためにあるだなんて
どこか絶対に間違っている!と拳を握りしめたくなる。
しかし。