乳と卵

乳と卵

毎年、ボジョレーヌーヴォーを飲んでいる人がいるように
芥川賞を読むのが私のちょっとした楽しみである

川上未映子の乳と卵を本年は読むことになった。
内容もそうだが
彼女のインタビューを読むと少しばかり
勇気づけられ、また戒められた

彼女はどうやったら伝わるだろうかということを
一生懸命考えてるように思ったからだ。
実はほとんどの人が
自分の考えていることが本当に伝わるのを恐れているのではないかと
最近思うようになった
どこかでマントを翻して
虚栄心が垣間見える人が多い

にごし、自動的に伝わる力を利用し
実は曖昧な輪郭を内包することで
相手に伝わったことが自分の伝えたことと同じものではないことに
安心しているのではないかと思う
いや少なくとも自分はそうだったかもしれないと思った

ところがある種の作家には
そのおぼろげがないものを創っているように思う

論理的というやりかたは、実は一種の方法論で
そうした真実への接近が自動的にできる方法とも言える
大抵の人は論理的になれないのだが、
川上の考えていることは論理的であるようで
ちょっと違うが、伝えようという意志という意味で
迫力があった

自分がいいと思ったことが
他人とずれる必要はないが絶対に同じであるはずがない。
V6が好きで岡田君が好きでもいいが
顕微鏡的に岡田君の鼻の穴の匂いが好きだと言えるような
ちゃんとしている人になろう






コソボ紛争―冷戦後の国際秩序の危機 (岩波ブックレット (No.487))

コソボ紛争―冷戦後の国際秩序の危機 (岩波ブックレット (No.487))

コソボが独立したという報道は
もう10日前のことになるか。
コソボ自治州は日本でいうところの
岐阜県程度の面積である

なぜ陸続きであるのに
自治権が成立するかといえば
なにかしらバリケードと言えるようなものが
コソボには物理的にあったのではないだろうかと思う

セルビアのやり方がアルバニア人の多いコソボでは浸透せず、
自分たちで政治らしきものを実態化させしまい
レイヤーが重なるようにして次第にコソボ自治州として自立しはじめた
経済支援を外国へ依存しなくては
やっていけないことは必至であるにもかかわらずである。

宗教のボーダーでもあり、国家のボーダーでもある
分類することで裂け目にはでかいストレスを抱え込むことになると
いうことだろうか。

平面化する世界ではエッジに起こる平面化の拒絶が
次第に私たちは目の当たりにしていくのではないだろうか。

ピカソゴッホ、モネ、ゴーガン、ロートレック
ユトリロ、ルソー、デュフィルノワール、ルドン、モディリアーニそしてセザンヌ

聞いた事ある人がどんな人だったかを
少ない字数で書いている

刺激は乏しい