雑誌という格闘

雑誌
改めて発音すると
速度と密度、光の束みたいなものを連想する

事実雑誌には発売日が設定されており
それを常に更新し続けるという
途方も無い使命を担っている

密度は雑誌には無縁でありそうだが
雑誌に密度を感じるようになったのは
このネタなら何ページ持つ などという
業界らしい値踏みを意識するようになり
持てばいい 使い捨て感よりも
世の中には持たないものばかりともいえるから
密度らしきものがあればいい
つまりは内容の無い密度の塊なのかもしれないと思った

私は購読しているような雑誌は現在のところ無い
いやこれまでだって購読というような
愛読態度を雑誌に示したことはなかったと思う

ついこの間
Robert Frank大仰に書かれた表紙にクラっときて
雑誌を買ってしまった
一字たりとも活字を読んでいないが
パラパラとめくるとそこには、ジャーナリストらしき人々が
素養のありそうな口調でなにがしかのことを書き綴っているようである

妙に頭に残ったのが葉月里緒奈の写真
得体の知れない表情が何ページにも渡って掲載されている
葉月もまた同じ世界のどこかにいると知り
不思議な気分になった。

芸術原論 (岩波現代文庫)

芸術原論 (岩波現代文庫)

少しばかり長いと思った
同じことをぐるぐる言っているし
最後まで読む必要はなかったな

だがおもしろい
感性が鋭敏な奴だと思った

セザンヌの絵画は
野菜をサクサク刻むように絵の具を載せていくようだという
表現がとても気持ちよかった

トマソンに関してはあまりおもしろくなったのは
専売特許化しようとしているように感じたからだと思う
名前を作りまるで自分達ものものだという既成事実を作り上げているところが
政治的な匂いがし、さらに愛好家のふりをして
真剣な好事家です なんてオトボケが鼻につく