ひたすら書く

一日の中で自分という容器に
様々なもので満たされ排出されていく
また排出と同時にベツのもんで満たされ
また少ししたら排出されていく

ではこの日記を書く瞬間の自分は
その容器に今日一日一通りのもので満たされ排出されたカラの容器となった
いや厳密にはカラになることはないと思うが
容器を満たしていた記憶とでも言おうものを書いていたということだ。

なぜこんな
時間にこんなことを書こうと思ったかというと
一日の中で考えたことがたくさんあってそれを書くには日記のような日にちで区切られたものだと
少し不都合に感じたからだ。


実は今、膨大な待ち時間、作業自体は進行しているのだが待たなければならないという
節目にいることもこれを書くに至る動機といえる

今手元に建築技術の今月号がある
表紙はひどく退屈な建物が映っている
その設計者は平田晃久と吉原美比古
しかしこの表紙の退屈さの中に手摺のディテールがおもしろくうつる。

設計者の意図を読むと、ガラス面が矩体と面になっていく、それこそ退屈な建築潮流に
自分たちが乗らんぞ
そんな何か意思表示のように思えた そんなことは別にかいてないし
どちらかといえば本当はやりたかったみたいなことがかいてある。

溢れ出しというとき、アクソメスケッチのような感じは
全く出ていない とんでもなく重たい建築に見える
2階部の玄関上部にくっついた庇で発散している