切れらて

underworldを友人と見に行った
Karl Hyde と Rick Smithによるこの音楽グループは
もうずいぶんと息が長く
高校生くらいの時に聞いていた音楽を
今尚聞いていていいものだろうか
確かにそんなノスタルジーへの甘えにも似た
さほど挑戦心のない気分で行く事にした

だがそれまで私にとって本当に狂乱させてくれるものが
いささか見つけられなかったということでもあった
あまりにもメジャーになりすぎていることを会場で再確認した
だが、underworldは素晴らしかった

別の友人がライブ映像を撮影する仕事をしていて
彼がunderworldを撮影していたことが
underworldと妙な距離を私に与えていたように思う

暴徒と化した民衆に対しての独裁者という構図が浮かび
音楽に対してのミュージシャンの関係がよかった
音楽と演奏者、歌手は常にある種の主従関係を結ぶように思う
音楽に働きかけているような湿気がもっぱらじゃないだろうか

DJという存在は音楽とはどこかで無縁であるような振る舞い方をしているように思う
音楽の僕のような、誰も見てくれなくてもいいし
この音楽を成立させるために私は働かされているのだというような感じだ

underworldは どうだっただろうか。
ここまで書いてこれは違ったと思い始めている。


グレートギャッツビー フィッツジェラルド著 村上春樹

野崎孝の訳を村上春樹が訳を出したときに、抵抗するように読んだ
よく流れがつかめずに読み終えていたのを覚えている
今回はそれと比較などできそうにないがずいぶんとすっきり流れが分かってしまった

野崎訳と比べてみるとかなり訳出が違う
一つとして一致することを拒むような違い方なのに大意はやはり同じなのだ

私はギャッツビーがもう少し、遠い存在ではなかっただろうかと思いだした
村上訳ではなにかしら、ギャッツビーが割合、人間的な描かれ方をしていた(?)
神秘さが少しばかり少なく感じた

僕に対する彼はやはりどこでも神秘的でなくてはならなそうに思った