ここ最近、神戸方面へ出張が多く、昨日は戻ってきて東京で飲み会があった。
さまざまな人間と会うと生きるモデルの多様さに驚く一方で通底するものに辟易とする。


突然銀行を辞めマレーシアへ留学した女性や
日本で翻訳助手を行っている妊娠中のカナダ人と日本人官僚の夫婦
北京へ留学していたメーカー営業の女性は来月から上海へ行くというし、
外資系コンサルへの転職活動に勤しむ男性
トップベンダーの営業をしながら英語に磨きをかけ、これまた外資系コンサル転職を目指す女性
フランス語、英語、日本語、ロシア語を駆使するウズベク人の文学部院生
ロボットプログラミングの博士課程と並行して研究室助手するマレーシア人
韓国の大学へ留学していた日本企業勤めの女性(実は何者かよくわからないが)
国連や世界銀行の道へ進みたがっている同僚


とまあ、どっと疲れが出るような輩ばかりである。
こういう席は以前にも似たような連中と出くわしたが、頼んでもいないのに外国の話をしたがる輩が多くてかなわん。
さらにフランス語で話してみようなどと、よせばいいのに、しゃべりはじめる。きみはいい発音をしている、ウィときたもんだ。こいつはいい、傑作だ。こいつらは、きっと夢遊病かなにかを患っているんだろう。
FBと同じだ、いいね!といってもらうことが当たり前だと思っている。
大抵この類の連中はワインやヨーロッパのビールが好きだ。マラソンなんかもやっていたり、週末は自転車や山登りとなる。
みな、鼻持ちならない顔つきだ。ゆで卵に目と鼻と口がくっついているような顔つきだ。