夕暮れ時に機内からカイロを一望すると
排気ガスから出来上がったような混沌とした街が窓一杯にひしめいていた。
安易ながら風の谷のナウシカで描かれた腐海のようなものを連想し、
みるみると着陸態勢に入って行くその間、一種の戦慄のような脈打つものが内心あった。
ガスマスクでもしなれば、ここエジプトでは生きられないのではないかとさえ想像したのだ。


こちらにいると、たまにエジプト人と話をする機会がある。
どこか野心的で雄弁な人物が不思議と多く、それでいて煩わしいことばかり言ってくる。
知人から聞いた話では客引きもえらくしつこい上、何かにつけてマネーを求めてくる。
正直に言えば、「嫌」なイメージばかりがへばりついてた。
中東でも最も労働単価が安く、ゴミ掃除などをしている人にエジプト人は多いという話も聞いた。
喧噪の中には先に起った「革命」で舞った塵がまだ、漂っているような空気感があった。


トランジットという消極的な理由での短期滞在の渡航ではあったものの
カイロという検体からその切片を持ち帰ることはできただろうと考えている。
観光らしい観光はまるでしちゃいないが、まぎれもなく、その街はカイロだった。


中心地にある博物館は、展示室というよりその収蔵庫のようだった。
どこかの港で貨物船に乗せられるの待っている食品や建材のような手つきで
文明を伝える利器が並んでいる。それほど見てほしいとすら思っていないようで良かった。
洗いざらしジーンズぐらい、さっぱりとしていた。
大量に詰め込まれている品々は、外に出せば、どれも展示の主役になりそうなものばかりだ。
とくに無数の象形文字を眺めていて、文字の発明の瞬間を見ているようで心から感動した。


せっかくだから、もしカイロでこのフレーズを使ったとしたら
大抵はここに行き着くだろうと思う。すなわち、ギザのことだ。
ピラミッドのある公園は昼間で閉園になると聞いていたのだが、
「せっかくだから」近くまで着てみたところ、ナイトショーで入園できると聞いた時には少し舞い上がった。


ナイトショーはわけのわからない、ピラミッドとスフィンクスをスクリーンにした
現代版影絵のようなものを上演し、ライトアップで赤や青、緑に照らされた哀れな古代遺跡を見せ付けられた。
ご本尊までもが土産屋のキーホルダーと化したかのようだった。
これが私のピラミッドとの出会いって訳だと、苦笑していると、
安っぽいナイトショーに担ぎ出されたスフィンクスを背景としたピラミッドが
ぼんやりと、ある迫力も持って佇んでいるのを発見した。