あまりに飛行機による移動が増えているため、
その希少価値は薄れ、
友人が言っていたような空港にあったはずの
儀式的な気分が私には随分となくなってきているのは寂しい。


それにしてもだ、飛行機が滑走路をひとしきりグルグルとやった後の
飛ぶ直前の助走時間はまだ、私に、もしかして飛ぶというのかい、君
と語りかけたくなる気分を催す。
そして、落ちたりしないよね、と、
テツの塊が空を飛び始めてから、常に誰もの心を横切るこの感覚は、
ボルへスが謳ったようにそれでも伸び続ける「爪」のような
原始の記憶を私に突きつけてくる。


テツの塊が空など飛びはしない。
写真は霊魂を奪い取る。
百年前ほどに生まれたであろう、この類の俗説が今日では、
PCの周辺に形を変えて生きながらえていることと思える。


「電波の届かないところにおられるか、電源が入っておりません」
こんな二者択一が平然と並べられる今日この頃、いかがおスゴシですか。