枯木灘 (河出文庫 102A)

枯木灘 (河出文庫 102A)

先の文芸春秋柄谷行人氏が
枯木灘といった名前の野球球団があったと書いていた。
中上の本著から拝借したという球団には
柄谷や渡部直巳島田雅彦いとうせいこうといった
面々が所属しているという。


中々機会を得られなかったが中上健次の仕事に触れてみようと
思った実際のきっかけは、上述の記事によった。
かような情報的に辺鄙な場所でも
Amazonでクリックしていけば、たちまち中上の著書数点を寄せ集めることができる。


本書は読むことがかなり苦痛で、始終、呪いを自分自身にかけていくような
重い気持ちでページを捲った。岬に続き、ドロドロとした血縁に苦しみ、閉鎖的な熊野の地で
働くことだけで透明になろうしていく秋幸をどこまでいっても、自分が投影できずに悶絶していた。


本書中で「路地」が度々出てくる。世間やしがらみが形象化された場として描かれており、
どこにいても何かと縁づけられ、視線に絡まって行くそうした、身動きのとれぬ場所として
路地が映っている。


新大久保をだらだらの彷徨いながら路地を見てはパチリとやり、
地域社会の関係を見直すモデルとして捉えられていることに、少しばかり気が重くなる。
やおら、家具やわけの分からない板なんかを「あふれだし」、身動きがとれぬくらいのドロドロした人間関係を
もう一度などと思うと、ゾッとする。あれは、一種のジョークだったのだろうか。


土地や血にしばられた秋幸が身悶えする様子を辿りながら、
安住せずに飛び回っている小生の身を案じる。
コンビニの角をまがれば、バグダッドなのである。
我々が発見すべきは藤森らが見つけた路地ではなく、例えばDuty Freeのような
希薄さなのだと思う。