業務範囲は現場によって契約によって差がある。
だが、仕事を遂行する際に、各構成員が自己の聖域に固執すると
うまく行かないケースもあると思う。


現場の工事水準に依存できる状況であれば、特に日本国外の工事案件に携わる場合、
それぞれの定義域外にある職能を満足しなければ、プロジェクト進捗を促進はしないと感じる。
契約というルールブックの中でいかにもがくかが苦しいところだ。


各エンジニアがつい口走ってしまう、「日本では、」という表現には
先進国の欺瞞が隠されているように思える。
工事の標準仕様にあたる規格はJASSなどの数値はアメリカの翻訳だと聞いたが
もしそうなら、「日本では、」という言葉に説得力はない。
日本は超一流という自意識は、プロジェクトでは雑音に思える。
実体に反し、この自意識を持ち続けているとすれば、最悪のケースかもしれない。


一つの事例だが、エンジニアにも2タイプあるようだ。
多岐に分かれる分野の一つにおいて、エキスパートであるタイプと
全体を満遍なくしていながらマネジメントをするタイプ。
マネジメント型のタイプは工期と工費を前提として業務をこなすのに対し、
前者は深く掘り下げすぎる傾向がある。故に工事が無駄に止まる。
ではマネ型のほうがいいかと言うと、彼らは「分からない」ものを処理することができない。
工期や工費といった言語を適用し、流して行く故に進歩はない。


恐らく、今私が学んでいる仕事は、施工管理と工事監理、PMだろうと思う。
関係者が増えれば増えるほど、雑音が増え、透明感は失われて行く。
コンサルテーションできる領域を増やすことがよい建物をつくる道の一つではなかろうかと思うが
道は厳しい。


何事も弾力的にやることが今は大事だと思う。


退廃した未来都市、サイボーグ化した警官、遺伝子と生物兵器


語りは、再利用され、いちいちユニークであろうなどと微塵も思っていないような
やっつけ仕事感がテンポ良く進行する。紋切り型をいやいや使っている鈍さがある。
作り手自身が、白けている。
そう、多分現代は、語りが不足しているのだ。