連日、の現場で疲弊する。
ひび、正確な知識を切望するが、中々手に入らないことへ
ジレンマを感じる。


矩体は今のところ走っている。現場で思うのは、
目の前に大問題があるにも関わらず、それに誰も気づかない状況が本当によくある。
見えていない、というわけだ。バカだなとつくづく思わされる。
大系といった知識の入れ方があるが、建築ではどうもそれなしには
何も見えないだろうと感じる。


空調と衛生のエンジニアと話していて強く感じるのは
彼らは「機能」って言葉に全幅の信頼を寄せていること。
メラメラと、そこへ反抗したくなるのは、その独善的に振る舞っている言葉や
その意味から来るキナ臭さからだと思う。
しかしながら、インフラを建築内へどう引込んで、提供されていくのかを知るのは
大変興味深くためになるなあ、としみじみと思う。


病院といった特殊な圏域にも当然とばかりに業界が広がっており、
そこで語られる言語は、あまりにもしきいが高く感ぜられ、これもまた
医療、命などといったトラウマを利用した政治が発生している。


意匠は、意匠屋でないような人々からも、軽視されそれは後でいいでしょう、
とせせら笑われているのが実情である。
芸術やれ、先生やれ、デザインといった蔑称を利用した迫害が技術社会ではまかり通っている。


アルベルティのすごみは、そうした中でも私に伝わってくる。
それを知らぬものにはわかるまい