ケルアックを読む。
私の知っている世の中では旅への衝動は、当然のようなものとして認知されている。ような気がする。
むしろ、それはセレブレートされてすらある。
「路上」を読みながら、こいつらはなんでアメリカを横断しているのかと考え、
じゃあ、あいつはなんで旅行しているのかと旅行している人間に疑問を呈したくなる。

私自身の旅への連帯感、アコガレが薄れて、
人物たちのいやに明るく、エネルギーに満ちた感覚が着心地の悪いものとして印象に残ったのかもしれない。
言葉使いや話題となるミュージシャン、そういったものにスタイルと言って良さそうな気分がある。


500ページ通して、ほとんど同じようなことが延々と綴られていて、
アメリカってそういうことだったのか、と四度にも渡るアメリカ横断旅行を読みながら分かったような気になる。
旅への衝動は、常に持続されないバカンスとしての役割を失った場合、
呼吸困難に陥るような異常さにも感じられる。


自分が絶対信頼できると思っていたものの一つである「旅」を懐疑的に眺め、
私は「旅」が好きですなどと、口にするのも嫌になるくらい疑ってみたい。
ここに登場するディーンなる人物は、「いいね!いいね!」を連発するサイコ野郎である。


なにが「いい」のか。分かったもんじゃない。
旅行の選択肢が無数にあって、北極や南米、シベリア鉄道、アフリカなんかを想像していて
私はふと気づく、どうやら見たいものなんかない、
そういう気分にとって、アメリカは「いい」目的地になのかもしれない。