二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日と野分の二篇が収録されている。
底流にある作家のベクトルと表面に表れる人物たちの会話が
薄皮一枚で一体化していると感じる。


文章を書く時に「」を使うことは、中々ない。
とくにブログは一人称で書かれ、まるで成長していない自分がはがゆい、
そういうストレスが底流にあるような印象すらある。
ゆえに、一人称はときおり、個人の中でプロパガンダを打つ。


「ゆきえさん、ちょっと醤油とってくれませんか」
「へい」
「いやあ、やはり醤油にはあれだね、宿っているね」
「なにがです」
「いやね、いつも醤油の香りを嗅ぐとだね、確かに宿っているなあと感じるんですよ、」
「や、だからなにがですって」
「細かいことはいいじゃありませんか、宿っているとだけで」
「よかありませんよ、あれだねじゃ、なんのことかさっぱりわかりませんわよ」


削ぎ落とされなかった、ボリュームに触れ、
つめたい大理石の彫刻にすら、ダイアローグがなりうるのだと思う。