こちらでの生活にも慣れ、
少しは考えるような時間も出来て来た。
バグダッドに私がいることを考えると
場所は既に、インターネット上のサイトのごとく
簡単にその場へアクセスできるように思える。


その反面、確かにここには、向こうとは違う生活があり、
その生活という生臭さが、場所の隔たりを一層強めているように感じる。
あっというまに、たくさんの出会った人を走馬灯のように
遠い存在にしてしまう。
圧縮された距離が時間を削減する副産物として
なにか、手応えの無さを私は感じる。
それは私の場合、長い時間を蓄積してきた遺跡についても
真空状態のようなわざとらしい状態に私を陥れる。


私はこれまで会った人ともう一度も会わないかもしれないといった
妙な考えが、ふわふわと浮かんでははじける。
コンビニでシーチキンを買っていた身体が次の角を曲がれば、
戦車に囲まれた武装地域へと飛び越えられてしまう。
アメリカの映画にあるような荒野にある日、一生の生活が生まれうる不確かな身体


それは現実ではないと考えられそうなことができてしまうために
私は不思議な気持ちになる。
拠り所を持たぬ、頼りない未来を前に戦慄しながら
踏みしめる大地はもはやないのかもしれない。