これはイラン・イラク戦争時代のモニュメントである。
独裁政権下ではしばし、ギョッとするような建造物が作られている。
ここバグダッドでもそうした、いつかの革命建築を彷彿させるものがそこかしこに残っている。
それらは力の表現であり、時代背景から取り残された高揚感である。
独特なグロテスクさや恐怖を私は感じた。


形は強い幾何学を押し込めたようなものが多く、
また随所にイスラムを連想させるモチーフがはめ込まれている。
高揚するナショナリズムの名残に反して、
施工は悪く、使われている部材も見るからに安物、とても良い出来とは思えない。
B級映画にありがちな安物の怪物を大真面目に信じ込んでいるような
バカげた気分がある。またそこに政治の恐ろしさを感じる。


バグダッドを眺めているとカメラを向けては、撮らない、
そんなことを繰り返している。フォトジェニックに決まるカットが見つからないからだ。
イタリアやフランスにあるような街並の魅力をここでは中々発見できない。
黄褐色の街並をどう見たら良いのかが私にはまだ分かりそうも無い。


一方でヨルダンは街並がある。広場らしきものがあり、高低差があり
細道、石畳の階段、遺跡と言ってしまえば、西洋にありそうな街がある。
それゆえに、退屈でもある。
バグダッドはまだ、私には門前に立たされたまま、城内に入れている感触がない。


強い日差しによってシルエットだけになった熱帯系の樹木と
ロシアから輸入されている戦車、ヘリコプター、米兵と同じ格好をしたイラク
アラビックで書かれたコカコーラの文字などを見ながら
街は未だに私には伝わってきそうも無い。


日本製の建設重機は次第に韓国製にすり替えられて行く。
自動車もトヨタやホンダに比べてヒュンダイの数が異様に増えているように思える。
クライアントが持つケータイはサムソンである。
プリンターはキャノンとHPを使っているようである。
バグダッドでも東京でもモニタ−に映るのはGoogleである。