フレームが対象を主題化してくることから逃避しているような感じが残っている。
何枚か撮影していると、何をとっているのかわからないようなものが二、三枚
まぎれこんでいることがある。
大抵はミスショットで片付く話だと思う。
それでも奇妙な魅力を帯びているものがあったりする。


そうした写真は、良い。と私は思う。
ありがちな私らしい関心にゆさぶりを与えてくれる。
無意識のようでいて、それでもわずかにフレーミングの意識だけが
主題を捨像しつつも残っていたりするような気がする。


ヨルダンの夜に少しばかり飽きはじめ、
デジタルカメラに残っている写真が何のためにあるのか
わからないなあと、思いながら寝ることにする。