今日は、国会議事堂を見学しました。
権力が見たかったのだと思います。
国家、すなわち力という発想の短絡さは、新年早々あっぱれだな。


中を見たのは、小学生以来でしたのでまるで覚えておりません。
参議院の議会とあの階段状の屋根の下の空洞を見る事ができました。
国家施設を現代で造るとしたら、やっぱりガラスと鉄、コンクリートになるのでしょうか。
大手ゼネコン、組織設計のJVとか言う意味不明な事をやりかねない。
JVで各企業ががっついている感じは、なんかそんなでけえ会社、
何個もいらねえよっと意味に感じるけど実際はもっと込み入っているのだろうか。


当時の様式を扱ったコンペ案などを見ていると
今、大らかさみたいな事を謳いながら建築を作っている人たちに
こうした国家を代表するような建築表現を造る事ができるのだろうか。
私小説が政治を背負えるとは到底、思えませんがそれではそれでそういう時代なのでしょうか。


国会議事堂はハリカルナッソスとか言う大昔のトルコの辺りにあった権力者の墓を
デザインモチーフにしていると聞いた事があります。
確かにこの階段状の屋根を持った建造物は、石井和紘のスピニングハウスぐらいで
いわゆる西洋の歴史でもあまり見た事がないように思います。
が、1936年の昭和の日本が、国にトルコを持って来ているところは、ユニークだと思います。


沖縄産とか言っていた石の表情、大きさ、凝った造りなど、すごいです。
柱の文様にヒマワリでしょうか、意味不明の植物が飾ってあったり。
フランス式だろうか、凱旋門みたいなの極太のアーチ、
ボロミーニのような六角形のレリーフの施されたヴォールト
バロック的な要素と、天皇陛下や貴族がお使いになる間では、格子天井で寝殿造りみたいにごつかった。


いいなあと感じたのは床です。色とりどりの石がとてもキレイにはめ込まれていて
かなり表面が滑らかになっていました。
意外と生命感に満ちていて良かった。


黒塗りのセンチュリーがピカピカに磨いてあって、それがまた宝石みたいにキレイでした。
学生時代にここに、訳の分からない住宅を設計したことを覚えています。
まあ、よくわかりませんが、この辺りは独特な気持ち良さがあるように思うのは、今もあまり変わらないようです。




書店で新建築を眺める。
新建築に掲載されている写真が、重たく見え、建築を消耗しようとしているように感じられる。
建ったタテモノがどこれも暗い表情に見えてしまう。
個人の名前でやっている仕事より組織のほうが洗練されているように感じるのは、私だけだろうか。


赤坂付近にまで歩いたので、博報堂の入っているビルを見学。
赤坂サカスは広告代理店とテレビ局があってなんか中央って感じがあります。
設計は久米設計。個人的にはここの仕事は、
ソフィスティケーテッドなものから逸脱してくような面白さが余地があるような気がしています。