写真データの整理。
昔、各地に旅行に行った際に、むやみやたらにカメラを向けている自分に気づく。
無駄な写真も本当に多い。


どんな人でもこんなものに興味あったっけ、と思えるものにカメラを向けているんだと思う。
特定のものを見にいく道中に、その時々の撮影対象は抜きにしても
パチリパチリとやっている写真が虚をついて、おもしろい。


僕はこの動物、なんだろうこれはアシカかな、アライグマだったかな。
ペンギンじゃなさそうだ。をずいぶん撮影している。
建物や風景の撮影が多い中、この写真が際立って見えた。


撮影で、水平垂直を意識したり、光や色みを意識したりした写真、
建築の部位を撮ろうとした写真は、なんとなく、虚をつくおもしろさがない。
適正の基準が既に幼稚だからだと思う。
撮影されているものが意識化されているところが、見ていて限界を感じる。
自分の持っている意識なんて、大したものじゃないことをよく知っているから恥ずかしく思える。
そういう意味で無責任で暴力に訴えるような写真のほうがおもしろい。というか楽なのかもしれない。


ポートレイトギャラリーでゲルハルト・リヒターのペインティングを見た時に
スナップショットが持つ暴力を感じた。
友人と話しながらその構図の決め方が意識されたものとしてひとまず納得してみた。
しかしそこがあの作品群に知的な印象を与えている一方で
どこかちょっと、閉塞感を感じさせるものだったのかなと 今は思ったりする。