■
マニエリスムの建築がもつ二つの面のうち、
後期ルネサンスの法則を破って、斬新な独創性を示そうとする傾向は
ミケランジェロの作品にもっとも強く現れたとされる。
古代および後期ルネサンスを模範とする古典主義の傾向は
サンソヴィーノやパラディオの作品にもっともよく示される。
しかし、一般的にはこの二つの傾向は混合され、
16世紀中期、後期にわたり、イタリア建築の主流を形づくっている。
ペルッツィやジュリオ・ロマーノ、ジョルジュ・ヴァザーリ、ジャコモ・ヴィニョーラらは
こうした意味でマニエリスムの代表的な建築家である。
とくに16世紀の特徴として、建築におけるアカデミズムの発生がある。
建築書に依存する建築家の学究的態度は、時とともにますます強まり、
各地における盛んな建築活動にもかかわらず、一般の建築界は
マンネリズムにおちて、後期ルネサンスの模倣や修正をくりかえしていたのであった。
勉強してもだめっすね。
1755年にドイツの美学者ヴィンケルマンが「ギリシア芸術模倣論」を著す。
ギリシア芸術が西欧芸術の祖形となるとし、以後のグリーグリヴァイヴァルにつながっていく。
この頃フランスではイエズス会士のロージエ神父が建築試論にて、フィラレーテが建築論にて
建築の原初の姿に小屋の姿で示した。
おもしろいのは、この原初的な小屋を措定して、建築の本質とし、ギリシアにみられるような
柱を主体とする構造を合理的な判断の帰結としているところだ。
理想や本質にギリシアを持って来たことで、それまで絶対化されていた古代ローマが相対化されることが近代精神の一つの特徴だという。
考古学的実証と論理的帰結による建築の原型の探求、この二つが18世紀後半から始まる新古典主義と呼ばれる芸術傾向であるそうだ。
建築家は昔も今も、たくさん建築を見にいったりする方法も一方ではあるんだなあ。
聖ジュヌヴィエーヴ教会、別名パンテオンの設計で知られるスフロは、
コリント式オーダー一種で柱の高さを全て揃えて本教会を設計する。
均質な柱による空間を目指すとか言っているが、
パンテオンの断面図に見られる柱の抽象的な顕れ方はテラーニのダンテウムよりも大分早く驚く。
この合理的な判断をやっていくとかなりイカレタ建築が現れる。
代表格にルドゥーやブレ、デュラン、ピラネージが挙げられるだろうか。
見た目からしてイカレている。ジョン・ソーンもちょっとそんな気がする。
ラディカルな建築手法は、だってそうなんだもんっていうような幼稚さからくる狂気がある。
ロシア構成主義のイカレ方もそうだが、強烈な背景があって成立している。
これをおもしろがり、OMAやMVRDVのふざけたスケールがデザインあると言える。
だが、今日のロジックにはメディア上のインパクト、ふざけ方を目的としている点で違う。
実はその過激さから一歩ひいている建築主体があるといえる。
幼稚であるほど、おもしろい。短絡的なロジックの持つ過激さは、やっぱりおもしろが
精神的なアンバランスをバランスへ持っていくような侵犯を感じる。
ルネサンスによるような古代モデル、多分単一の作家を保存するような設計手法が強まるように思うが
このルネサンスやミケランジェロを含めて、幼稚さ、過激さがどの道ある。
今日、新建築でスモーカースタイルの結果発表を眺めた。
妹島和世のドローイングに見られるような人物のプロポーションがいくつか見られた。
添景のパターンが様式化している。またこれを得意げに描く奴がいるんだろうな。かわいくない?
ノートのキレイな人なんだろうなと想像させるこの人体のプロポーションは、
アールヌーボーのような共有された手の癖になっているように思える。
これを管理する批評言語が「かわいい」なのだと思う。
全体性を持った批評言語は人体のプロポーションを規定する。意識的にこれから外れたものを描いても
案外寒いだけに見えるように思える。
「かわいい」を積極的に扱うのには、非分析誘発性の戦略がある。
批評する人は、私たちの時代らしい少女を求めているように思え、こっちもならばと乗っかる。
女装してまでそれを演じることは私にはできそうもない。
トウキョウという立地、アニメの殿堂に見られるような時代や文化の新規性、村上らの作品など
関連づけて評価しやすくしようとしている。
鏡面の歪みを扱ったSANAAのパヴィリオンの記事を見る。
この過激さは、他の事務所では出ない。
ロマン的な傾向を唾棄する過激さがある。
悪のような感覚がしびれます。
スタイルだけマネしても、悪にはなれない。
- 作者: 森田慶一
- 出版社/メーカー: 東海大学出版会
- 発売日: 1971/12/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
近代になると無性につまらなくなる。
どうでもいいよね、近代。
- 作者: 磯崎新,篠山紀信
- 出版社/メーカー: 六耀社
- 発売日: 2001/05/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 1回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
サージョン・ソーン美術館 19世紀 (磯崎新の建築談議 11)
- 作者: 磯崎新,篠山紀信
- 出版社/メーカー: 六耀社
- 発売日: 2004/05
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: 磯崎新,篠山紀信
- 出版社/メーカー: 六耀社
- 発売日: 2001/09/01
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
サン・カルロ・アッレ・クァトロ・フォンターネ聖堂 17世紀 (磯崎新の建築談議 09)
- 作者: 磯崎新,篠山紀信
- 出版社/メーカー: 六耀社
- 発売日: 2003/02
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 14回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニのサンタンドレア・アル・クイリナーレのそれが
違った作図方法によっていた事から始まる。
中学校だったか、楕円を数学で描かされたことがあったのを思い出す。
楕円は、二点の焦点にたるんだヒモを貼付け、つねに二点からの距離の和が同じになるような軌跡だと習った。
しかしこれはベルニーニの方法であり、ボロミーニは異なるようだ。
知りたければ調べてみてください。
プリミティブな造形と言った時に楕円はあんまり出てこなそうに思えるけど
天体の軌道が楕円であるように私たちが基本と思っているような図形は実はあんまり基本的ではないだろうと思う。
バロックの系譜で楕円を見ると歪んだ円となりそうで、どうしてもルネサンスをしょってるが
もっと自律したものとして、このクアトロ・フォンターネはあると見えるかもしれない。
つまり変形された形ではなく、原初的な楕円があるわけだ。
私はマークシートを塗る時にいつも、無数の空白の楕円が過激に見えてしまう。
効率が楕円を生んだのは、おもしろいと思えませんか。