建築行脚の談義採録本。
篠山紀信の写真がとてもいい。


ゴシック建築ルネサンスのネタ振りになっていて
いつも割を食っているように思える。
でも実際英国でリバイバルを含め、ゴシックを見るとこれがやっぱりてんで面白くない。
作ってるやつの気分が暗い。
この視覚はなんだとずっと思っていて本書ではそこに少し見通しを与えてくれた。
通史がやっぱりこの視覚の温床じゃないかと思えるがだからといってゴシックサイドに行けない自分がいる。
誰だって、ルネサンスサイドに立ちたいだろう。


磯崎はルネサンスを含めた古代モデルとゴシックは作られ方が違うという。
古代モデルは原理として比例や物を置いてみて調整しながら決まって行くのに対し、
ゴシックは生成モデルといってイクラでもでかくできるような仕組みを持っているという。
画家や彫刻家が作りながらプロポーションを整えていくようなプロセスが欠落しているように思える。


ハイテックのデザインをゴシック的だと言うのがおもしろい。
代表格にフォスターの香港上海銀行を挙げていて、そう見るとメカニックデザインはクールじゃなくグロイものに見える。
実際フォスターの一時期の仕事には生臭い造形がところどころある。
ロジャースのロイズオブロンドンも内部を広くしたいから外にいろんなものを吐き出しているような構成になっているが
これをゴシック大聖堂のバットレスの構造になぞらえる事も可能かもしれない。


ロンドンからなぜアーキグラムが生まれたか。
新しい形式の出現にはどんな力学が潜んでいるのかをここから考え、
ゴシックが古代と違うものを出現させたことと併置している。
ロンドンは音楽にせよアートにせよ、世界をリードするセンセーションを引き起こしてきたが
その根拠に古代に対する野蛮さ、グロテスクさを見れるという。
五十嵐太郎はエイリアンを挙げ、得体のしれない不気味さをゴシックとつなげていた。


一方でフォスターの大英博物館がかくも成功した空間を生んでいることを挙げていたが
そこはあんまりちゃんと読まなかった。



フルーティングが持つ光の触り方が篠山紀信の写真で実感できる。
パルテノン神殿のこの力強い柱の建ち方
石だからできるものなのか。