今日は所用で新宿に。
依然として新宿であり続けていることを受け止めた。
新宿は何か過ぎ去ったような街という印象があったが、
それは次のように更新された。


野生の生き物のような凶暴さを
ビルの隙間や通りの縁石、道路標識や排水溝から感じる。
歌舞伎町を通ったからか
街が持っている昨晩の記憶が蒸気のように辺りに立ち籠めているといえばいいか。
戦った後のような癒しをここには感じてしまう。


いずれにせよ、過ぎ去った街であることには変わりない。

Time dot

言語化の作業、仕事の効率化、形式化、結果至上主義、縦割り、研究、スケジュールを埋めるなど
デジタル化が進行し、何かしら私たちは滑らかさを失った世界に住んでいる。
例え、徹底的に細かい粒子によって作られた画像が美しかったとしても
僅かなそして決定的にアイソレートされた粒子たちは、お互いを知る事はないだろう。



大分前になるが人と話をしていて
自分の中で初恋が言語化されたのは、驚きであると言った話になった。
なにか連綿と続くゆらゆらした海面から、それらとくっきり区別されるような気泡として
私たちはそれを認識し、これはなんだろうという好奇心を持って眺めていたのだろうと思う。


なんらかの外的情報を頼りに、もしかしたらコレはハツコイではないかと悟る。
命名もしくは言語化によってそれらを吐き出し、境界線を引いたことで
ボーリングの球のように手で取り扱うことが可能になった。
デジタル化されたと言える。


細分化され、世界を粒子として認識するようになった時に
殺されてしまう粒子もいくらかいるのだろうと思う。
いやむしろ、全ての粒子が不完全な粒子としてその役割を果たそうとしているのかもしれない。


ゴールキーパーがオーバーラップするときに
カメラは無人のゴールを映そうとする。
そんなイメージを今日は思い出した。