金もないのにCDを買ってしまった。どうしようもないもんである。


CDを買うという文化は、結構いいものである。
ピカピカのCDケースを傷がつかないように大切にしながら聞くのが
大切なものが増えていくようでいいのです。


レンタルは音楽に関しては全然だめである。まるでカバーできていない。
買って見る映画と、借りて見る映画はどうチガウのかといえば、
大切にしようとするかどうかかもしれん。
気づくかどうかが肝心であるので、こちらも最高のパフォーマンスで対峙しなくては。
見たかどうかなど、どうでもいい、気づいたかどうかである。
ほとんどのディスコミュニケーションで終わってしまうんだろなあ。
でも金がかかる。うまく行かないものである。
ちなみにダウンロードは結構いけるみたいだけど、まだやったことがない。


どちらにせよ、音はファイルになったものは、やっぱり悪いのだそうである。
原理がまだよくわからんけど。知ってる奴がいたら尋ねてみよう。
ガサガサの画像を見ているようなものであろうか。気づかないなら、いいのかそういう事だろうか。


だが、これまでのキャリアを鑑みると
CDを買って成功したものは、極めて少ないことに気づく。
金の無駄かもしれんな。しかし、音楽を聞かずに死ぬのと聞いて死ぬのなら、聞いた方がちっとはマシだと
思って、買ってしまった。



Grace / Wastelands

Grace / Wastelands

Peter Doherty のソロアルバムである。
ずっと聞いてみたいと思っていたが、買ってしまった。


反解釈 (ちくま学芸文庫)

反解釈 (ちくま学芸文庫)

Against Interpretation
Susan Sontag

たくさん、読まなくても一個ずつしっかり読むことも大切ですね。
ソンタグの「一つの文化と新しい感性」を読む。
彼女の記したものを読んでいると、これを読んで何をするのかと立ち止まってしまう。
何の意味があるのか。学者にでもなろうっていうのか?
ノーである。考えたいから読むのであるとひとまず言っておこう。


私はよく知らないが文化が分裂しているという感覚が昔あったそうである。
その二つというのが文学的・芸術的文化と科学的文化であったらしく、
今日にも、その習慣の名残がそこここで散見される。


NO BORDERという理念は今日ではグローバリズムと言い換えられているかもしれない。
境界はなくなりそうもないが、相互作用しながら貿易し、結果的に境界が生まれるという図式に変動していくことはあると想像できる。
境界によって紛争、軋轢が起ると同時に接触でおもしろい進歩も起る。
コロニアル様式しかり、南蛮貿易しかり
新技術の知見と侵略の歴史を得て、そうは言っても私たちは進んで来た。


ソンタグが言わんとしていることを私のような凡人が見つけるのは
はなはだ身の丈にあっていないと感じるが
ボーダーもまた時間を持っているということではないかと思う。
境界を曖昧にしたり、暈したり、妙に強調したりと、デザインの多くは境界で起きているが
その形式化によって囲い込まれる部分が持つ時間があるのと同様、ストローク、フレームとしての時間もあるだろうと言う事か。


境界の話は、なかなかなくならない。


So Alone