「図書館で寝る男」

どうも描く対象が寝ている人が多い。
睡眠状態の姿勢がおもしろいこともあるが、動かないから描きやすい。
当たり前のようだけど
寝ている時の姿勢は寝る前の姿勢を継承している。
鞄の持ち方や手の向き、足の角度など、身体は既に寝ている時と同じ姿勢である。


再び、組織設計に行く。
今ひとつ、公共事業がどういう仕組みで仕事になっていくのか分からないが
プロジェクトシートを見ていると、
環境に配慮した、地域に密着したといったフレーズが転がっている。
地中に埋め込むことで周囲に圧迫感を与えない設計、
水平線を揃え、高さを感じさせないデザインとした。という風にかかれている。
木材や石といった天然材は大抵、そこで採れるものを使う。
おもしろいのは、ポケットパークが交通量の多い道路に面して設計されているが
これも公共に受ける時代性があるのだろうか。
ナニナニパネルを用いる事で持続したウンヌン。


実はこうした事務的な言葉が並ぶのは、公共の性格に責任があると言える。
設計が組織で動くからこうなるとは思わない。クライアントの判断力のほうに問題がある。
公共の主体的判断はどのようにが行っているというのか。
責任といったが私は建築における受託契約にはまだ、コミュニケートの余地があると信じたい。


デザインを偽装するために、均質な模様窓を採用する。
この模様は、建築が現代における公共と直面した時に発生するアトピーのようなもんである。


西沢大良氏の話を読んでいると、彼は環境倫理について積極的な姿勢を持っているように思える。
「風」といってみたり、「音」「熱」と言ってみるような定量化できるものによって
環境のクオリティは大きく変わることを技術のフィールドに閉じ込めない姿勢がある。
「光」もそうだし、「寸法」もそうで、定量化できるものから「詩」が生まれることは、
「詩」がそもそも定量化できるものを持って成立してきた事からも明らかである。


風や熱、音は違うが気圧といったものは、それ自体を表現できたとしても映像化できない。
そこにこの、建築界のブレイドは反応しているようである。


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Малевичはなんでこんなにすごいのか。
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