今日は、専ら学習に費やした。
桜が咲き、若い奥さん方が子供を引き連れて花見をしている。
レジャーシートを広げて、子供が遊んでいるところで
奥さん方は下ねたトークでゲラゲラ笑っていた。


ひととおり学習をすませて一息いれていると
隣の30代中盤の女性が仕事を定時に切り上げ、コーヒーを呑んでいる。
友達となにやら熱心に話しているご様子。
どうやら男の値踏みをしているようで、仕事ができるけど愛想が悪いとか
あの人は優しそうだけど、趣味が悪いとか、言っている。


定時という魔法にかかった人々がぞろぞろと
波打ち際に打ち上げられていく貝殻のようにこの珈琲屋に集まってくるようだ。私は貝殻でさえないが。
ダンスの振り付けの打合せをしている輩や公認会計の勉強に励んでいるもの
彼氏が来るのをケータイをいじりながら待っている女
貝殻たちは、明るい夕方の中で怪しげに皆、発光しているように思える。


どんな人間も形を持っていることを改めて確認した。
身なりもいっぱしだし、ティファニーのリングをしている人もいる。
ケータイだって自在に駆使している。
鞄や靴だって「こだわり」の一品だ。


図書館には密かなライバルである有機化合物の勉強をしている人がいるが
こいつも形をもっている。こいつは本当によく勉強しているように思う。
きっと立派な学者になるのだろう。
人間ていう形式の中で持たされている固有解
髪の毛を茶髪にしている面長の女もいれば、
鈴虫みたいな顔をした新入社員もいるようである。


静かな深海を潜っていき、
密やかに催される宴を見たような気がした。
タブッキの小説を思わせる。一つ一つがある営みとなっている。