サイレンス

サイレンス

ジョン・ケージ 著
柿沼敏江 訳


読みにくそうに見えて、どんどん染み込むテキストだと思った。
マイスター・エックハルトの説教の引用が
勇気を与えてくれる。


「ある場所に行くのにまずつまさきをどう下ろすかを
解決しなくてはならないなら、決してそこに行き着けない。
画家が最初の一筆を描く前にすべての筆跡を決めなくては
ならないなら全く描けない。
自らの原理に従ってそのまま実行せよ。
あるべき所に行き着くだろう。それが正しいやり方だ。」


そのまま実行せよ。って言葉が気に入りました。
そこのあなた!そのまま実行せよ。
自分にそして友に言いたい。


建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場

建築はほほえむ―目地・継ぎ目・小さき場

松山巌 著


やさしい文体で、心地よい場所ってどんな所か
考えさせてくれる。
目地が「笑う」と建築の世界ではよく使う。
継ぎ目が広がったという意味だと松山は言う。


ぎちぎちに緊張した都市空間にも
こうした笑いが必要なのだと説くが
この「笑い」という言葉にすると感じ方も少し変わる。


あの場所好きだなって素直に思える場所を考えてみる。
TTが言うように、階段がある場所や高低差ができている坂は
そんな場所のように思う。
渋谷の首都高下の交差点も
六本木通り下を潜るトンネルも私は好きな場所だ。
西武百貨店とロフトの間の盛り上がった通りも好きだ。
区役所のロビーもリノリウムの床が私には心地よく感じられる。
銀座シネパトスがあるトンネル、秋葉原の市場、
地下鉄の連絡通路も結構いい。バス停も意外と好きな場所だ。
美術館のロッカールームも悪くない。
ちょっと閉塞感があるものがいいのかもしれない。


ちょっと嫌だなと思う場所としては、
上野公園がダメだ。広すぎる。
同じ理由でみなとみらいもだめだ。
コンビニやマクドナルドは少しきつく感じる。








記憶の肖像

記憶の肖像

中井久夫 著

エッセイ集。
一日に少しばかりは、綺麗な文章に接するべきだと考える。


本書で「治療にみる意地」というのが収録されている。
ここでは、歯の治療に関する事例をきっかけに
義歯を作ることで患者を満足させるための意地について始めている。


あいつが、満足するものを作ってやるという意地。
自分の腕、誇りとの競争によって人は成長すると中井は続ける。
視野狭窄によって大局が見えにくくなりながらも
患者と医師がお互いに意地を張っていくことで
思いも依らぬところまで行ってしまうこともありそうだ。


「おそらく、意地というものは、元来は窮地を正面突破するための
心理的技術だったのだろう。いばらの多い薮を通り抜けるためには、
たえず自分を励まさなくてはならない、そういう自己激励である。
そのためには視野狭窄が必要であり、自己中心性もなくてはなるまい。
いや、自己中心性は不可欠のものかもしれない。
ひとのためによかれとして意地を張ることもあるだろうか。
ひょっとするとあるかもしれないが、張っているうちに次第に
自分が意地を貫くことが第一義的なものになりはしまいか。」


なんのために?なぜ?根拠などよりも
どうも、意地っ張りで行かねば、茨の道は通り抜けられそうもない。


ビッグ・バッド・ママ [DVD]

ビッグ・バッド・ママ [DVD]

ティーヴ・カーヴァー 監督作品


ママ役にアンジー・ディッキンソン。
彼女はブライアン・デ・パルマ監督作品の「殺しのドレス」に出演している。
アンジーが脱いでいることが、どうやら一つの話題であったそうだ。
かっこいい女優。顔の骨格がいい。


骨折しているみたいにボキボキ折れている映画に見えた。
ストーリーが強引で滑らかではない。
気になったシーンとしては、
アンジーが弁護士に身代金を要求する電話のシーン。
切り返しと、アップを使いフォーマットを揃えて
撮影されていることに気づく。
こういう形式的な方法がここでいきなり使われていて少し驚く。


大枠は、金を求めて、強盗する母と娘二人。
銃撃戦、暴力、エッチなシーン、カーチェイスとしっかりしている。
映画に必要そうなアイテムが散りばめられていて
それで繋がっているように見えれば、ビジネスになる。
プロデューサーにロジャー・コーマンというのも見逃せない。


ジョン・カサヴェテスは語る

ジョン・カサヴェテスは語る

ジョン・カサヴェテス 著 レイ・カーニー 編
遠山純生 
都筑はじめ 訳


こういうことってよくあるんだけど、
映画を見てもうこいつしかない!
って思ってそいつの言っている事を本で読んでみると
なんか物足りなかったりする。


だけど、映画監督だから僕が聞こうとしたこととは
違う事を常に言ってくる。


例えば、映画には男と女がいて、
男はどこかの工場で働いていて、過去に人を殺した事がある。
女は男と家族に捨てられ、一人彷徨っている。
二人が何かで出会ったりしたとすると、
映画監督は、人を殺した事のある人間がどうやって
家族に捨てられた女とデートするか考えるのだろう。
想像を絶する想像力が必要だ。


仮にマクドナルドでデートをしたら、
人を殺した事のある男なら、絶対チキンナゲットを頼む。
そんな感性のあり方を考えることになる。