今まで書いた文書を読み返す習慣がある。
考えがどれだけ、ぶれたか、進化したかを
見るためだ。
書いたときに考えて書かなかったことが
読むとリプレイされるのもいい。


TTと話していると、ブログが効果を発揮しはじめているように
感じることがある。これはおもしろい収穫である。
新しいフェーズで話をし始めていることを感じる。
実践とメモがダブっていることが肝心であるように思う。
イメージしてほしい。
大勢で話している中、
言葉が二重で聞こえているのである。



読書量をあげ、関心圏を広げつつも深くして行きたい。
今月は9冊目だが、部分読みを許容すれば
20冊くらいは行かないとおかしい。



今日はそんな思いで
5キロ走ってきた。
身体が気持ちよさそうな感じになっているようだ。
走ると、身体が賢くなってくる感じがする。





家族の深淵

家族の深淵

中井久夫 著


家族の深淵 往診で垣間見る


この人の本は、無茶苦茶考えさせられる。


医師が患者を診断する方法の一つに
「往診」がある。
冒頭にあるように、医師は病院の施設、同僚から
切り離された場所で診断することになる。
中井は、「よるべなさ」を感じるという。
医師をある家族の住まう住居に迎え入れ
一つのシステムに組み込まれる背景を持って診断することに
恐怖、不安、そういった「よるべなさ」があるのだろう。



おそらく、精神科医は、混乱の中に身を投じて、おのれという一要素が
場に加わることによって、そこに何らかの変化が発生し、
その中のごく一部にでも、悪循環あるいは閉塞からの脱出の契機、種子、萌芽が
生じることを目指す者である。 P7 8行目から引用


治療することが強制でないと伝達することが
患者を治療することでどれだけ肝心なことかを考えさせられる。
細部が重要なのは、芸術だけじゃないとし、
彼が往診で意識している細かいことを記してあるのだが
プロフェッショナルとは、こういうことだとジーンと来る。
自分たちが拘っていることは、本当に崇高な目的のためだろうか。考えさせられる。


往診に先立ち、その建物が建っている地域のことを調べたり
色々歩き回ったりと患者と接すよりも先に
患者のホームに自分を適合させていくようなこともやっている。
多分、写真を一つ撮ったり、絵を描いたりすることは
そういうシンクロを自分で引き出す、あるいは適合していかなければ
得られないものなのだろう。


自分が何かをしているという意識があるうちは、まだ本物ではない。
起こるべくして起こっているという感覚こそが必要だと中井は続ける。
往診の時の緊張や医師の心のありようが描かれていて
崇高な姿勢を見習いたい。