菊名



どうも、一日が短すぎるというのか、
もっと一杯日記を書きたくて仕方がない。
つーことは、一日が長過ぎるということだ。半日記くらいのほうが私には都合がいい。


女子諸君と話すととても、結婚へのプランニングが明確である。
これは男子諸君はかなり注意しなければならない。
結婚へ収束していこうとする態度は、
ちょうど、カーチェイスのように
自動車の側面でぶつかってくるような圧力政策である。


鼻くそをほじくるように、結婚のことを考えているのである。
男はノーテンキだからあっという間にクラッシュさせられるか
ぶつかってくる奴に対して急ブレーキで交わして
女が勝手に大破するのを眺めるだけかもしれない。


子供、欲しいとか、家族を大事にするというのはマヤカシで
本当は、肉弾戦でぶっ壊そうとしているものだというのを
あまり人は認めたがらない。








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イトイ新聞で脳と身体がいっしょになった西武ライオンズという
言い方が印象に残ったので。



TTが菊名に引っ越したというので
あんま降りたことがない駅ということもあり
菊名で少しだけ飲む。


広告製作会社、広告代理店といった業種について話した。
これをきっかけに少し広告について考えてみる。
イギリスではついに、インターネット広告がテレビ広告を越えたらしい。
日本はまだ新聞広告にも満たないが、時間の問題だとされている。
IT企業であるために、一時期のベンチャーへの不信感はあるが
情報の世界で土壌が整い始めていることを示している。先は見えないが。
ほとんどの人は、情報を得るためにインターネット上で
情報狩りを行っており、そこに広告の最適なチャンスがある。


費用対効果という言葉があるように
テレビの垂れ流しによる損失を高い回収率で成果につなげることが
インターネットでは可能である。自分を常に発信することは
自分が関心のあるものを教えているようなものだからだ。


行動ターゲッティングやコンテンツ連動型広告、
ウェブのログの略としての(ウェ)ブログは市場での
自分の分身を作成していることになる。


自分のログの集積で作られていくアバターは、可視化された自分の情報集積の痕跡である。
自身の身にまとうファッションよりも
社交的なツールになりかねない。
ペットに服を着せる習慣はそのアナロジーとして注目できる。


私が関心を持ったのは、現在私たちはGPSによって正確に
自分たちの位置が分かるようになっている。
天気予報なら「東京」や「関東」という大枠でもかまわないが
広告は、より精度が上がってくることおもしろいように思う。


広尾なら広尾、渋谷なら渋谷、NYならNYという都市の自意識が
広告によって再構築されていくと、健やかなイメージすら獲得できるかもしれない。
情報にグラデーションが出てこれば、地域が持っている性格は
少しばかり異なったものとして浮上してくるかもしれない。


当然のようだが、広告は人がいないと起こりえない。
人がいない世界で広告は、どうやって明滅を繰り広げていくのだろうか。


コカ・コーラマイクロソフトのロゴが月に描かれたりするかもしれない。
マクドナルドの月見バーガーは、それを少し予感させている。
あんなまずそうなバーガーを売り出す狙いは、月侵略の旗揚げに思えてくる。


デザインは飽和との境界面に現れる炭酸の泡みたいなものか。





長嶋有を読み、今回、何人かの人と呑んだことを思い出し、
彼ら、彼女らの仕草がよみがえってくる。
こういうことをどれだけ拾えるかで、その人との距離感も絶対的に変わってくる。




ジャージの二人

ジャージの二人

長嶋 有 著


この人でしたか、と思い奇妙な符号を喜ぶ。
先生の書斎に積まれた書籍の中でこのタイトルだけが
妙に気になり、是非読んでみたいと思っていたことを
長嶋有で調べていて
はっと思い出した。この人だったのか。
これは映画にもなっている。これも何かの予告で知ったことだった。


脳をとろりと溶かす休暇  という表現が良かった。
携帯電話を開いて眺めて、すぐしまう。そういう動作が
小説で表現するのは、難しいんだろうな と思ってしまう。


居酒屋でトイレに立ち、戻ると携帯をいじっている友を見かけ
友がトイレから戻ると、携帯をいじっている自分を発見する
そういうワンシーンが結構残っていたりする。
いくつかのセンテンスの中にケータイをいじる行為がうまく、入り込んでいて自然にしみた。