西ヶ原へ


敬老の日を利用して
またしてもジョサイア・コンドル設計の洋館
旧古河邸を見学に行く。

古河庭園の丘の庭園が見渡せるところに
本館は建っており、昔は主寝室から富士山も望めたそうである。
庭園は季節があえば、バラで満開となるが今はさすがに咲いていない
バラのいない感じは、赤を感じさせないシックな佇まいで
私にはカチっと来た。

見事に刈り込まれた庭園はコンドルのデザインらしい。
説明書には左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、
石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせたとある。

庭園がまだランドスケープとは言われないような時代でのデザインである。
平面的な図柄が丘陵といい関係を作っているように思う。
バリカンでモミアゲを刈り込むような気持ち良さがある。
コンドルは意外にもヒップホップなのだ。

岩崎邸でもそうだったが縦長なプロポーションが角で目立つ。
そのプロポーションのまま雁行する様子は
リジッドで地割れのような切り込みを感じる。

内部の撮影はキチンと申請を通したものとあり、目に焼き付けることで代用した。
ファサードでもひきとわ大きい窓が2階への階段に設けられた窓である。
岩崎邸と変わらないものだが本館は階段の位置が良かったのだろう。
内部に崇高な光がそこから差し込んでいるように感じた。
久しぶりに光を感じる建築に出会った気がし、Struthの写真を思い出す。

San Zaccaria, 1995
Thomas Struth (German, born 1954) www.metmuseum.org/toah/images/h2/h2_1996.297.jpg

本館も一階が4200だが二階は3600とちょっと低い。
これは二階には和室が何部屋があることがそうさせているのかもしれない。
巧みに外部からはそれが分からないように鎧戸が白く塗られたり、側廊下をとったりと巧妙に
デザインされている。案内人によれば、和洋折衷だと誤解されるが
実際は和は和、洋は洋できちんと部屋ごとで住み分けが施されており
館はいっしょだがこれも和洋併置と言うべきかもしれない。

ウィンタールームと呼ばれるサンルームの床はチェッカー模様に
モザイクタイルが貼られており、これが痛く気に入った。
残念ながら写真はないが、タイルの冷たい感じとこすれた時の感じが
部屋を歩いてみたくさせている。仕上は人を豊かにする。


不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

現実逃避ではなく現実への逃避を現代の傾向だと大澤は言う。
その分析は家族形態、少年犯罪、オウム、オタク、そして興味深かったのは
リスク社会、と現代を広く考察する。

かつての虚構の時代は現代において現実への逃避と極度な虚構に
引き裂かれているとし、虚構の時代が地下鉄サリン事件などで終わったとする説明には
納得する部分も多かった。
現実への逃避は、現実の中の現実と説明されているが
この説明にベルギーのダルデンヌ兄弟の映画を用いているのは
かゆいところに手が届くような思いであった。

二つあるものの一方が覇権を握りもう一方が立ち直れないとした場合
二つあるものは一つになり覇者の関係がなくなるという論法が
大澤が言っていたかどうかはさておき、そういう状況というのはいくつか
私が考えていたことをなぞってきた。