デザイナーの署名

彼らはここで勝負しているのだから


http://www.ndc.co.jp/hara/home/index.html

http://www.ryujinakamura.com/index.html

http://www.nendo.jp/works/detail.php?y=2008&t=122



青木淳さんと中村竜治さんの対談が住宅特集に掲載されているので
パラパラと読む。
若い世代、五十嵐淳さんや西沢立衛さん、藤本壮介さんが
共通して使っている言語を彼も使っていたのが印象的であった。

「原初的」
この言葉から連想を試みるならば、原始時代の人間が住んでいた
たまたま雨が凌げそうな、洞窟を思い浮かべる人も多いだろう。
住むために用意されたわけではない空洞
青木さんもこうしたものを二段階で住めるようにリノヴェーションするといった
お話があった。
中村さんはアーチをネズミの穴としたことで
アーチを原初的なものにしているかもしれない。
ストーリーの前面化を許容しはじめている傾向がある。

ゲントや台中での伊東豊雄さんの案では
曲面が裏返ったりしながらCave(洞窟)を作っていくという説明があったように思う。
様式以前のもの、もはやランドスケープに近いものを
建築がうつつを抜かしているが、どうやら本命であったかもしれないのです。

ますます、「隕石」がありうるなと思えてくる。
隕石はランドスケープなのか。

「おおらか」や「瑞々しさ」
「しなやか」や「はり」といった言葉を使用する傾向は一体
どんな兆候であるだろうか。


学生が作った文章を読む機会があった。
内容よりも単語が気になる。
ロボトミー」や「エキサイティング」を使用したり
「乖離」や「解体」を使ってみたりと少しこちらが赤くなってしまう。
最近は「身体的」ではないだろうか。


自分の中に滞留する単語は絶えず水の流れがないと淀んでしまうのである。







撮影ついでに住友3M社から出ている名作。
クリーナー20を撮影した。
スプレーのりの汚れ落としにこれは使われる。
有機溶剤形クリーナーという種類に分類されるエアゾールクリーナーである。
成分にはジメチルエーテル イソプロピルアルコールガス、330ml入りとある。

塩素系溶剤、フロンガスは使用していないと記載されているが
使用していないものを記載するということは
私は猫を飼っていませんと自己紹介するようなものである。
社会は私に猫を飼っているのではないかと疑っているというのは
心外である。

d60のh200であり缶の底は鏡面で凹んでいる。
これはなぜ凹んでいるのだろうか。密封する際に外気温度などで
中の気圧が狂い膨らむのを押さえているということだろうか。
それならばその膨らむことができずにいるエネルギーは行き場のない怒りをどこへぶつけていると
いうのだろうか。

60という寸法は汚れをつけるスプレーのりよりも細いのは
なぜだろうか。
汚れを落とすのと接着するのでは
握ることになんらかのモチベーションが異なったものとして
脳が指令を出しているからなのだろうか。

いやこれは考えられない話ではない。
なにかを作っているときに綺麗にしようとして
誤ってのりをかけてしまうことを未然に、そう握る事で気づかせようとしているのである。

缶にはポリチューブが備え付けられている。
細かい箇所にピンポイントで噴射するためだが
備え付けるという表現と、セロテープで貼付けるというのは同義として捉えて良いのだろうか。