コーレーカ社会

コーレーカ社会の到来。
ずいぶん前からこのコーレーカ社会なるものが
我々を苦しめることは話されてきた。
昨今の消費税をあげる話は医療福祉への公的なお金を
捻出するためであるそうだ。
少なくとも夥しい数のコーレーシャを養えるほど我々は
お金も偽善もないので生きとし生ける物が生活する上で発生する税で
彼らを賄うのはまあ短いスパンでは良さそうに聞こえる。

地元の連中と集まると割と高い率で
福祉関係の仕事に携わっている輩がいることに驚き、
また彼らは悟りを開いているような観が残る。
結局とかどうせといった言葉を多用していることが気になる。

コーレーシャには優しくしなければいけないといった教育を
来るべくコーレーシャになる人々から受けてきた。
含蓄のある教養、知恵、経験と精神性において熟成を極めるコーレーシャ。
肉体の退化に反していっそうこの精神面の強靭さは強化されていく。

私たちの若い世代は巨大な検索エンジンを手に入れたことにより
その知識を内部に所有する必要性がなくなった。
ウェアラブルな端末がいずれ肉体化したものとなれば
脳は収納スペースを減らす事ができるようになる。
私たちがコーレーカした場合、
残されるものは、退化した肉体と狂牛病のようなスポンジ質の脳だけになる。
ヒステリックになる必要はない。なぜなら世界は皆同じ一つの脳を持っているようなもんだからだ。


コーレーシャの増加は進歩の抑制となり
この時代についぞ才能の花が開く事はなかった。
200年後、とある高名な歴史家が
今の時代をそう2、3行書いて終わりにさせられてしまっては敵わない。
スポンジ質の脳でもできることをしよう。