日記

ここ数日間で、正確な日付はよく知らないが
大学の同期がその大学生活の集大成というべき
修士論文、及び修士設計を終えたようである。
終えたといっても大抵まだ終わってないというような
反論がでてきそうなぐらい
きっと彼らの人生観、思考に大きな礎をつくったことだろうと思う。

華やかなる気持ちで春の到来を待っていることだろうと思う。
それほど調査したわけではないが
実に有意義な大学生活であったと言わんばかりの
充実感を感じているように見受けられた。
といっても聞き情報にすぎないが

山のようなものがずいぶん羨ましいなぁと素直に感じられ
僕自身なにか水に打たれた気持ちだった。
いい時間を過ごせた彼らに今日は乾杯したいと思う。


芦原義信の批判の対象としての
磯崎新という流れでこの書物を手に取ったと記憶している。

全部ではないにせよ記憶には残ってないにせよ
ずいぶん彼の本は読んだように思うが
敬遠し続け自分の中に彼の思考が侵入しないように意識していたと思う
要請される周辺情報量の多さにも関わらず
彼の書物は建築の入門書のような類となっていた
発言していいものを彼の書物から無意識に選んでいたような気がするし
読んでいる奴は話すとたちどころに分かってしまうものだ

建築は芸術でもなくてはならない
そんな言い方だったと思うがこれを言ってのけている建築家は
芦原にいわせれば悪漢扱いかもしれないし
当然!のように建築はアートじゃないなどと自身満々に叱咤してくる輩を
思い起こせば、建築は芸術でもあるに私は身を寄せたくなる

おもしろかったのは
形態は機能に従うというプラグマティックな言説について
丹下健三が 美しいもののみ機能的である
といい、そもそも美しいが前提として用意し
ルイスカーンは 形式は機能を喚起する
というインスティテューションを唱えざるを得なかった。
このカーンの有名な話は改めて考えさせる領域を持っていると思った

形態が機能と無関係になる
これを元に磯崎が描いたコンピューターエイデットシティは
建築が機能から自由になるということなのか。
でかいアーケードの下に犇めくブース会場のような都市の構想は
どこかバッキーフラーを思い起こさせる


ここではメモ程度で止めておきたい


Alvar Aalto Apartments

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セールですばらしいものを見つけた
どきどきした