優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

優雅で感傷的な日本野球 〔新装新版〕 (河出文庫)

少年期、私は野球とサッカーという二項対立において
サッカーを選択した。
野球は私には他人事であった。
父(阪神ファン)と兄(横浜ファン)は
大の野球好きである。
そのことがより私の野球への温度を相対化したかもしれない。

もちろん、小学校においては地域の少年野球にも所属し
野球とは無縁だったとは言わない
今思えば転校生であった私がスムーズに交友関係を築くのに
うってつけの組織だったと言えるかもしれない
野球に対してはその程度の所属意識だった

日曜朝の多摩川河川敷での練習はそれほど嫌いではなかったが
案の定小学校を卒業すると当時開幕したJリーグの煽りを受けてか
野球とはおさらばし、サッカーに明け暮れた

しかし今日野球が瑞々しく映る
野球の型式ばった構造が美しいのかもしれない。
サッカーは貧しい国でも盛んである
その手軽さが世界競技へと押し上げた
球らしきものを蹴るだけで世界一律のサッカー(フットボール)を獲得した

野球は違う。どちらかと言えばそのマイナー性がいいとも言える
サッカーがEメールなら野球はポケベルだろうか
野球に他人でいられることがまた心地よいのかもしれない


だが、この小説はそんなことは何一つ書いてないし
ましてや野球は便宜的に借りてこられたものとして描かれている


にしても中華料理屋さんの奥の部屋に見える、
永遠に終わらないかのような
つけっぱなしのプロ野球

TVから流れる
波のざわめきのような応援歌が
ありありと浮かぶような小説である

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

そういう意味で、と続けよう
隈研吾は私にとって野球的に感じるのである
それゆえに彼の書いたものはそそられる

彼がどうして野球的なのか
隈が私にとって他人だと思えるからか。
そうではない

本著は彼が東京についていくらか述べているのだが
私は彼の東京との距離感が
私の野球に対するそれに近いように思う。




かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

通りの様子がどうしてこんなに浮かんでくるのだろう。
言葉はそれほど雄弁ではないにも関わらず。

中2階のある家では枯れ葉の積もる様子や
寒い気候が伝わってくる
僕はどうやってバカになったか

とても知性のある青年が
知性のある事自体が愚かだと悟り
アル中になろうとか
自殺を計ろうとかしたあげく
馬鹿になろうと決心し
マクドナルドを食い、株で大もうけに走るという筋書き。

マルタン・パージュは資本中心主義を批判しているつもりだろうか。
それほど、刺激的なことが書いてあるわけではなかった。