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- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/06/03
- メディア: 文庫
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少年期、私は野球とサッカーという二項対立において
サッカーを選択した。
野球は私には他人事であった。
父(阪神ファン)と兄(横浜ファン)は
大の野球好きである。
そのことがより私の野球への温度を相対化したかもしれない。
もちろん、小学校においては地域の少年野球にも所属し
野球とは無縁だったとは言わない
今思えば転校生であった私がスムーズに交友関係を築くのに
うってつけの組織だったと言えるかもしれない
野球に対してはその程度の所属意識だった
日曜朝の多摩川河川敷での練習はそれほど嫌いではなかったが
案の定小学校を卒業すると当時開幕したJリーグの煽りを受けてか
野球とはおさらばし、サッカーに明け暮れた
しかし今日野球が瑞々しく映る
野球の型式ばった構造が美しいのかもしれない。
サッカーは貧しい国でも盛んである
その手軽さが世界競技へと押し上げた
球らしきものを蹴るだけで世界一律のサッカー(フットボール)を獲得した
野球は違う。どちらかと言えばそのマイナー性がいいとも言える
サッカーがEメールなら野球はポケベルだろうか
野球に他人でいられることがまた心地よいのかもしれない
だが、この小説はそんなことは何一つ書いてないし
ましてや野球は便宜的に借りてこられたものとして描かれている
にしても中華料理屋さんの奥の部屋に見える、
永遠に終わらないかのような
つけっぱなしのプロ野球
TVから流れる
波のざわめきのような応援歌が
ありありと浮かぶような小説である
- 作者: 隈研吾,清野由美
- 出版社/メーカー: 集英社
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隈研吾は私にとって野球的に感じるのである
それゆえに彼の書いたものはそそられる
彼がどうして野球的なのか
隈が私にとって他人だと思えるからか。
そうではない
本著は彼が東京についていくらか述べているのだが
私は彼の東京との距離感が
私の野球に対するそれに近いように思う。
- 作者: チェーホフ,小笠原豊樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
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通りの様子がどうしてこんなに浮かんでくるのだろう。
言葉はそれほど雄弁ではないにも関わらず。
中2階のある家では枯れ葉の積もる様子や
寒い気候が伝わってくる
とても知性のある青年が
知性のある事自体が愚かだと悟り
アル中になろうとか
自殺を計ろうとかしたあげく
馬鹿になろうと決心し
マクドナルドを食い、株で大もうけに走るという筋書き。
マルタン・パージュは資本中心主義を批判しているつもりだろうか。
それほど、刺激的なことが書いてあるわけではなかった。