骨董品を愛でる人々がいる
彼らは焼きものの焼き具合を見ていい!などと変なエクスタシーを得る
この一見雑なようにも見えるこの把手
絶妙だ!など
微笑まずにはいられない井伏文学の神髄がここにはある

昔の人々は質屋にものを入れるという習慣があり
またお金がたまれば、取り戻すそうだが
同じものをいくら安くなっていても私は買うだろうかなどと思った
あまり現在では利用している人が少なくなってはいるものの
実はそういう心理構造があるのは、妙な気がして仕方がない




ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

世界の偏狭な地でのちょっとした短編集
偏狭な地といっても実はどこでもいい
プエルト・リコの緑したたる島というやつがよかった。

まいっちまうくらいの生活苦と
煮えたぎるようなあつさ湿度、細かい描写がリアリティを与えてくる
九匹!九匹もゴキブリが出たらそれこそまいっちまうのに
そうか そこはそういう場所なんだと思わせるのはなんだろう。

椰子の気が楽園の象徴のように思っていたが
ここではうっとうしい、どちらかと言えば重苦しいものとして
描かれていたのが印象的だった

川釣り (岩波文庫)

川釣り (岩波文庫)

釣りしかも川
これはと思い読む。
これもなんというか下手の横好き感が十分に発揮されいて
それで本人はまるっきりそう思っていない
そのずうずうしいような繊細な線が井伏にはやはりある。天才ではないか
ユーモアがしっかりと確保されているのだ

釣り人が交わす釣り会話というか
旅館の客であっても釣り人であれば
早朝に朝食をとるように手配してもらい、朝っぱらから釣り支度をする
そうした別目的のある人に釣り人がいる。
時間も釣り時間であり、ますますこれは俺もやりてぇと思ってしまう
彼の動物観察はとても詳細であり、
いつの間にかつぶさに読者である私もそうした視線を持って読み続けてしまう
犬や猫、あるいは虫でもいいのだが、
同じものを見ていながらもかくもその見方が違っているのかと思うくらい
井伏は観察をしているように思った



この柴田という訳者はどうやら今かなり人気があるらしいではないか。
アメリカ文学の輸入元のようになっており、先日のオースターをはじめ、
アメリカ文学コーナーへ赴けば、彼の訳出した数の多さに驚く

スチュアート・ディベックのシカゴ育ちというものが
私の興味を惹いたのは、アメリカだからでもあるし
エドワード・ホッパーをモチーフとしたナイトホークスという短編も含まれていたからだ
アメリカに良さを見るとき、どうしてもホッパーが出てきてしまうと思っていたが
それがここで結節された、そんな感じがあった。


見えがくれする都市―江戸から東京へ (SD選書)

見えがくれする都市―江戸から東京へ (SD選書)

丁寧にとても普通なことを言っている
そんな印象を持った
中沢新一のアースダイバーのような、多元的なルールの断片を発見し
そこから元の図を組み立てるというような都市の見方
ルールの残滓がなにであるかという指摘が今ではやはりさほどの鋭さを感じない
だが、普通の事が正確に蓄積される知性の在り方
そこに槙建築の天分の一端があるような気がする
正確さが槙には驚くほどの精度で持って実行されているのではないか
知の体系がにじみでているような本だった



或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫)

或る少女の死まで 他二篇 (岩波文庫)

室生犀星はもしかしたらなどと思って読んだ
彼は金沢から投稿した一遍の詩によって文壇にデビューを果たした
田舎者の純情のような印象をもった

ある年齢になったときに
ひらりと優しい少年時代を読み、そこにある種のかわいらしさを感じるような
そういうノスタルジックな光景が浮かび、少し私にはおばあちゃん臭く感じてしまった
田舎っぽい、清潔感があると思った