ヒルサイドテラスは、私が思っていたよりは
ずっと過激な感情によって動いているのかもしれません。
そう思ったのは、初期の棟を眺めていて発見される、
設計者らしかなぬ、言ってしまえば、野武士的な性質が
ところどころに繁殖しているように見えてきます。


インテリアの暗さはスマートさや育ちの良さのようなものとは弱冠異なるように思います。
どちらかと言えば、アジア的な湿り気すら感じます。
代官山の街並を眺めて、一つ一つの建物に設計技師の濃密な時間が蓄えられていることを感じ、
またそんな濃いトンガった意識が、ぎっしり隣り合っているのは、まことにオゾマシイではありませんか。



M事務所のゴミ箱やプリンターの脇には、たくさんのミスプリントが放置してある。
ミスプリントを見ながら、線の使い分けの思想やグラフィックの感度を発見する。


矩形図やサッシュ図を描くときに、サッシュのアウトラインと柱のそれを同じ断面線で描くのは
どうなのだろうか。
原理として切断面は全て同じ線種とすると、サッシュ内は潰れてしまいます。
引出し線の入れ方、重複許容の情報量は、言ってもセンスとなりそうである。


実は引き出し線の図面に対する角度は、どういう理由で決まるのか。
寸法線をどこで入れるかは、何を定量化すべきと考えているかがバレます。
図面がキレイに描ければ、一人前かもしれません。