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最近、友人のブログが更新されるようになった。
新しいものが彼ら自身の手で生産されているところが素直にうれしい。
大地に生命の息吹を感じ、こちらまでうれしい。


どうせ、結局、といった傾向に僕は左翼的な、もしくはニヒルを感じる。
ヒルはリアリストを標榜し、知性にそれを置き換える。
アンチヒロイズムの傾向はポストバブルの状況から強まっているように思う。
でも生きるっていうのは、快楽への渇望によって推進していく部分もある。
空調されたドライなオフィス空間で、生命を搾取されていくことにリアルを感じ、
現実主義という肯定的な捉え方で自己を正当化する方法は、
経済がつくる周期に端を発しているように思える。資本がそこにあるかどうかが
僕たちの生命の感覚にダイレクトに繋がってくる。



ユートピアだとか青い鳥症候群だと指摘することで
知へ自分を接続する傾向は、多分左翼的な白けに通じている。


この白け方は、エヴァンゲリオン碇シンジをイメージする。
ロストジェネレーションと呼ばれる90年代の若者たちの傾向をまだ引きずっているように見える。
スポーツ選手も長嶋茂雄からイチローへと変わり、マラドーナバッジオのようなスーパースターから、
高度な技術、身体能力を持つサイボーグ的アスリートへとトップクラスのイメージが変化してきている。
野生の象徴に見えたロナウジーニョに、最適なプログラミングが施された肉体のような白けを感じてしまう。
つまり精神性を共有することのないゴム人間に見える。
マラドーナバッジオには、カリスマが存在していた。
ジネディーヌ・ジダンには、かすかにそれを感じさせるものがあった。


さて、ボクらはロストジェネレーションの次のゼロ年代世代である。
なにをするにしても白けていないで種をまき、祈ろう。