北山
梅本洋一と北山恒の対談を聞きにいく
ル・コルビュジエと映画という中で
北山氏の選んだミケランジェロ・アントニオーニが介入してくることで
話がまとまろうとしてこなくなっていた
映画と建築が話されるとき
シークエンスがしばしば話題に挙がり
そこで建築的プロムナードの概念からコルビュジエが映画的だとされるようだ
彼のパースペクティブも奥の情報が濃く描かれていることが多く
次のシーンへいたる途中の段階というように見えるというわけだ
ここではカメラ移動イコール視覚による空間把握という等号が成立しているが
むしろショットとショットのつなぎ方のほうにこそ
映画的要素が現れてくるように思う
アンリ・ブヘーベルの都市地理学だったかシチュエイショニストとはなんだったか
勉強不足だったが講演自体は行き先の見えないものとして着地せぬまま終わった
梅本洋一は映画と建築両方について語ろうとしているのか
どちらにも肩入れできない立場に見えた